モデルになった史実:レッドコートはなぜ赤だったのか
ゲームの題材は、17〜19 世紀のイギリス軍が着ていた赤いウールのコートです。なぜ赤だったのか、どう戦ったのかを知ると、ゲーム内の兵科の役割が「そういう理由か」と腹に落ちます。
01レッドコートとは
「Redcoat」は 17〜19 世紀のイギリス兵の通称で、正規軍のほとんどの連隊が着ていた鮮やかな赤いウールのコートに由来します。公式史実ページは、この色がヨーロッパから北米、インドまでの戦場で、世界で最も有名な軍の印の 1 つになったと書いています。
赤は連隊の区別なく共通で、違いは襟(facing)、レース、ラペルの配色で示しました。将校も兵卒も基本のコートは同じで、階級はサッシュやゴージェット、金銀のレースで表しました。
つまり赤コートは「制服」であると同時に「所属の証明」でした。ゲーム内で赤い服の兵がすべて味方、という設定も、この史実の延長にあります。
02なぜ赤だったのか
赤は実用上の選択でした。アカネ(madder)から採る赤い染料はイングランドで広く手に入り、大量の兵に服を支給するのに向いていました。染色が丈夫で、黒色火薬の煙が立ち込める戦場でも目立ったのです。
目立つ色は現代の感覚では不利に見えますが、当時の戦いは煙で視界が悪く、味方と敵の識別が重要でした。赤は「撃たれやすい色」ではなく「味方が見つけやすい色」として機能しました。
一度コートの色が決まると、連隊は伝統として色を守りました。この保守性が、赤が 2 世紀以上も残った理由の 1 つです。
03戦列と斉射
レッドコートは戦列で戦いました。大隊は 2〜3 列の厚みで並び、軍旗と太鼓に合わせて前進します。近距離まで来たら統制の取れた斉射を放ち、可能ならもう一度、もう一度と続け、最後に銃剣を着けて突撃しました。
公式史実ページは「50 歩の距離からの大隊斉射は壊滅的だった」と書いています。マスケット銃は遠距離では当たりませんが、近距離で揃えて撃てば別物でした。個人の射撃技術より、弾幕の中でも規律を保てるかが重要だったのです。
騎兵は側面を掩護し、崩れた連隊を追撃しました。野砲は歩兵が進む前に敵陣を弱めました。歩兵・騎兵・砲兵の 3 兵科を組み合わせることが、この時代の戦い方の要点であり、ゲームの 4 兵科(水兵を加えた形)にも通じます。
04レッドコートが戦った戦争
公式ページは年号を書いていません(ナポレオン戦争の終わりが 1815 年のワーテルローである、という記述だけがあります)。このサイトでも、確認できない年号は补いません。
| 戦争 | 公式ページの注記 |
|---|---|
| イングランド内戦 | ニューモデル軍が赤を着た起点とされる |
| スペイン継承戦争 | マールバラ公の遠征が含まれる |
| 七年戦争 | ヨーロッパ・北米・インドの三つの戦場 |
| アメリカ独立戦争 | 北米でレッドコートが戦った代表例 |
| ナポレオン戦争 | 1815 年のワーテルローで終わる |
| 19 世紀の植民地戦役 | 帝国各地へ遠征が続いた |
05赤の終わりと現在
19 世紀後半、無煙火薬と長射程のライフルが普及すると、目立つ赤は不利になりました。イギリス軍はまずインドで、次いで広く、野戦服をカーキに染めていきます。
20 世紀初頭には、赤いコートは儀礼用の装束にだけ残りました。現在も国王近衛兵(King’s Guard)の制服として見ることができます。
ゲームの赤は、この「戦場の色」と「儀礼の色」の両方の記憶を引き継いでいます。史実を知っていると、赤い兵の集団が戦列を作る姿の意味が変わって見えます。
06ゲームと史実の距離
公式は、ゲームがこの時代から着想を得ているが、特定の戦いを正確に再現したものではないと明記しています。史実の戦術をなぞる部分と、ゲームとして遊びやすくするために変えた部分が混在しています。
たとえば 1,000 人が 1 つのマップに集まる規模は史実の大隊戦とは異なりますし、水兵が陸の拠点を砲撃する頻度もゲーム的な誇張です。史実は「なぜこの兵科があるのか」を理解する材料として使い、数値の根拠にはしないのが安全です。